Apr 06, 2010
断熱材を使用したエコハウス
エコハウスという建物には、さまざまな工夫が施されています。例えば、壁に断熱材を使用すると、夏には外で日光の暑さを防ぎ、冬は室内の暖かさを逃さない効果が高くなります。そのため、エアコンを多用しなくても、少ないエネルギーで快適に過ごすことができます。また、窓の部分にも特殊なサッシとガラスを使用して、よりも断熱効果の高いエコハウスに仕上げることができます。夫の実家はマンションだったが、すべての客室は、作り付け注文家具でした。そこで、部屋の中にクローゼットや胸のようなものは全くなく、非常に彼らの多くの家庭でしたが、とても綺麗にしていました。また、地震が起きた時も、ロックもしているとされている物が飛び出すこともなく、ましてや倒れてくるなんてことは絶対にないので地震対策にも作り付けの注文の家具はとてもいいと思いました。
高松の夏の風物詩「第46回さぬき高松まつり」(高松市、同まつり振興会主催)が12〜14日、中央公園を中心とした市街で開かれる。四国最大級の花火大会や57連が参加する総おどりがある。
イベントプログラムは各日午後6〜10時。12日は高松ゆめ大使のお披露目やゆかたグランプリ、13日は約6000発を打ち上げる花火大会(午後8時から)などがある。最終日の14日は、讃岐の盆踊り唄(うた)「一合まいた」で踊る43連、オリジナル曲で演舞する自由連14連が競演する総おどりで締めくくる。
花火大会のある13日は、サンポート高松と朝日新町の一部道路が午後6〜10時、車両通行止めとなる。また、市などは周辺海域で小型船舶から観覧するのは控えるよう呼びかけている。14日は、中央通りや国道11号を含む地域一帯の道路が午後6時半〜9時、車両通行止めとなる。
両日とも会場近くに臨時駐車場が設けられるが、市などは公共交通機関で来場するよう呼びかけている。市観光振興課(087・839・2416)。【馬渕晶子】
8月12日朝刊
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◇「豊寿園」で
小豆島町池田の池田中学校(下地芳文校長、108人)の1〜3年生9人が、町内の介護老人保健施設「豊寿園」(大平敏男施設長、70人)で開かれた「第20回ふれあいワークキャンプ」(県社会福祉協議会など主催)に参加し、食事や入浴、リハビリなどの介助体験をした。
町社会福祉協議会が毎年実施。社会福祉への正しい理解を深めるとともに、自身の能力の発見や今後の進路を考える目を育てることが狙い。
午前中は1、2年生3人が理学、作業療法士の指示を受けながら高齢者のリハビリを手伝った。お年寄りが転ばないよう歩行訓練に付き添ったり、立体パズルなどを一緒に楽しんだ。お昼前には6人が加わり、食事の介助に取り組んだほか、レクレーションで生徒たちが手作りしたペットボトルのボーリングや魚釣りゲームなどを楽しんだ。
2年生の正木智也君(14)は「福祉に興味があったことと、もし自分が介護が必要になったときにどうすればいいか学び、役立てたいと思い参加した。いい経験ができました」と話していた。【秋長律子】
8月12日朝刊
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◇原爆によって、人生を大きく変えられた 福島の子ども、姿重ね−−東かがわの男性(67)
わずか1歳10カ月で人生が大きく変えられた。東かがわ市に住む会社役員の男性(67)は、爆心地から約2キロ離れた広島市内の自宅で被爆した。その日の記憶はないものの、「被爆したことは一生ついて回る」。福島第1原発事故以降、放射線の影響を心配する福島の子どもたちやその親の様子が、物心つかない頃から被爆に振り回されてきた自分とだぶって映る。
66年前の夏、兄2人と姉は疎開していたため、父と母と3人暮らしだった。爆風で屋根が飛ばされ、母と家の中にいた男性は頭をけがした。出勤途中だった父は、上半身を大やけどして帰ってきた。
一家は兄らが疎開していた親類の家に身を寄せた。そのころから記憶は途切れ途切れにある。
父はやけどが治らず、「痛い、痛い」と苦しみ抜き、2年後に亡くなった。「母が父の包帯を替えていた姿や、亡くなった時、父が寝ていた部屋の隅で、母が泣いていたのを覚えている」。男性が負った頭の傷口からも膿(うみ)が2年間出続けた。
その後、家族で香川の親類宅に移ったが、母は結核を発症するなど、入退院を繰り返した。やがて長兄が東京で働きながら定時制の高校、大学を卒業し、家族を呼び寄せることに。しかし末っ子で、小学5年生とまだ幼かった男性は、子どものいなかった親類の養子になることになった。
養父母からは大きな愛情を受け、大切に育てられた。それでもやはり「母親や兄らと離れたことは、寂しかった」。養子縁組の手続きで裁判所に行った時、しょんぼりとしていた母の姿が忘れられない。後に、母から「子どもを手放すのは、本当に辛かったよ」と言われた。
つらい思いは成人後も続いた。被爆者は就職や結婚で差別され、「奇形児の子どもが生まれる」とも言われた時代だった。被爆体験を進んで話すことはなく、妻に打ち明けたのも結婚直前。広島の平和祈念資料館に連れて行き、告白した。「おれもこんなんやったんや」。結婚後も、子どもが生まれるまで不安は続いた。
息子や娘が物心つく頃、原爆に関するテレビ番組が流れるのを見て、覚えている限りのことを話した。現在も、被爆2世を対象とした年1回の健康診断を、きちんと受けるよう勧める。自身は10年前から、白内障を患っている。
原爆によって、人生を大きく変えられたと感じる。同じく多くの人の一生を変えたであろう、福島第1原発事故。脱原発は産業や生活への影響が大きく難しいとも言われるが、今「命より大切なものがあるか」と思う。福島の子ども、これから生まれてくる子どもに思いをはせる。「私たちのように、一生心配事を抱えないでいいようにしてほしい」。
8月12日朝刊
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